春夏秋冬ある日の日記 

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宮城県の女川高等学園の産業技術科1学科に食品製造、福祉、サービスの3コース

来春開校の女川高等学園に3コース

 宮城県県教委は13日の定例教育委員会で、女川町に2016年4月の開校を予定している「支援学校女川高等学園(仮称)」の学科概要を発表した。


 産業技術科1学科に食品製造、福祉、サービスの3コースを設ける。既存の小牛田(美里町)、岩沼(岩沼市)の両高等学園の卒業生が多く就職している分野を学べるようにした。食品製造、福祉両コースは高等学園では初めて。
 いずれのコースも、講義と企業実習を組み合わせた職業教育を行う。立地する女川町の特性を生かし、水産加工業や地域の特別養護老人ホームなどとの連携を想定している。3年間の全寮制も支援学校初で、地域社会で自立した生活ができるよう支援。寄宿舎のほかに生活訓練棟も完備する。


 女川高等学園は軽度の知的障害者が対象となる。現在、生徒数減少に伴い閉校された旧女川高跡地に校舎を建設中で、1学年定員は1学級8人の3クラス計24人。

 

★女川町

女川町(おながわちょう)は、宮城県にあり、太平洋沿岸に位置する町である。日本有数の漁港である女川漁港があるほか、女川原子力発電所が立地することでも知られる。

概要

町域は、南三陸金華山国定公園地域に指定されている。北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキ(牡蛎)やホタテガイ(帆立貝)、ギンザケ(銀鮭)などの養殖漁業が盛んで、金華山沖漁場が近いことから、地方卸売市場には暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされる。

また、町の南には石巻市とまたがって東北電力女川原子力発電所があるが、現在は運転停止中。

女川町の由来
女川町西方背後にある黒森山の麓にあたる奥地に安野平(あのたいら)という所から流れ出る渓流がある。平安時代安倍貞任の軍勢が隣村・稲井(現在の石巻市稲井)の館に寄り、源氏方の軍と戦ったとき、一族の婦女子を安全地帯であった安野平に避難させた。このことから、ここから流れ落ちる小川を「女川」と呼ぶようになった。

水産業ギンザケ、ホタテガイアワビ、ホヤ、カキなどの養殖漁業に加え、サンマなどの沿岸漁業も盛んである。特にギンザケとサンマの水揚げ量は全国でも有数。

東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、女川町は女川原子力発電所震度計震度6弱を観測した(町内の検測所は津波で流失)。 さらにこの地震が引き起こした津波に襲われ、沿岸部は壊滅的被害を負った(東日本大震災)。また、港湾空港技術研究所の調査によれば、津波の最大波高(浸水高)は女川漁港の消防庁舎で海抜14.8mを記録した。

 

津波で3階建ての町庁舎も冠水したが、町長以下職員は間一髪屋上に避難して無事であった。女川原子力発電所は高台にあったため辛うじて津波の直撃を免れたものの、発電所を管理する宮城県原子力センターや原子力防災対策センター(双方とも2階建ての建物)は屋上まで冠水し、環境放射線監視システムが壊滅。職員の多くも行方不明となったため、国や県に一時的に報告ができないという状態に陥った。

 

女川湾から約100mのところにあった七十七銀行女川支店では高さ約10mの屋上に行員が避難したが津波に飲み込まれた。

 

東北電力女川原子力発電所の潮位計の記録を解析し、当施設が浸水高13mの津波に襲われていたことを、4月7日に公表した。女川原発の敷地の標高は14.8mであるが、地震で約1m地盤沈下したことが分かっており、計算上、津波は敷地まで80cmの高さにまで迫っていたことが判明した。実際、津波の飛沫の痕跡が敷地の外縁に残っていた。なお、最大波から15分ほど後に発生した強い引き波のときには、海水面が下がりすぎて原子炉を冷却するための取水口が3- 5分の間むき出しになっていた可能性もあるという。

 

町域にある鉄道駅のうちJR石巻線の女川駅は、土台だけを残して駅舎が流失したほか、駅に停車中であった列車や町営温泉の保存車両等が流されるなど、甚大な被害を受けた。また、女川-石巻間では線路が損傷した。

 

更に鉄筋コンクリート製のビル6棟が基礎部分ごと地面から抜けて横倒しになる被害も発生した。液状化現象で基礎が浮き上がった所を津波になぎ倒されたと思われる。世界的にも例の無い被害である事から、町では被害資料として保存する方針を固めている。


3月12日:津波被害で損壊著しい町庁舎に代えて、女川町立第一中学校(現・女川中学校)の校舎2階に女川町災害対策本部が置かれる。
3月23日:この時点で判明した人的被害は死者473人・行方不明者620人、物的被害はほとんど詳細不明。
3月31日:女川町公式ウェブサイトのホームページが臨時の状態ながら回復する。
4月21日:町の有志により、町内をエリアとする臨時災害放送局(FMラジオ 79.3MHz)「おながわさいがいエフエム」が開局し、女川町立第二小学校校庭に設置されたスタジオから24時間体制で放送を開始する。
5月26日:この時点で判明した人的被害は死者476人・行方不明者567人・重軽傷者2人、物的被害は全壊3,021棟・半壊46棟・一部破損86棟。
6月6日:この時点で判明した人的被害は死者488人・行方不明者454人