春夏秋冬・喜怒哀楽 今日の私のココロ模様

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2017年12月22日は冬至。12月22日の歴史的出来事

2017年12月22日は冬至(とうじ)です。

 

冬至(とうじ、英: winter solstice)は、二十四節気の第22。北半球ではこの日が一年のうちで最も昼(日の出から日没まで)の時間が短い。十一月中(旧暦11月内)。

冬至とは12月22日頃(2016年は12月21日、2017年は12月22日)。および小寒までの期間。太陽黄径270度。


大雪から数えて15日目頃。太陽が軌道上の最も南に来るときで、夏至と反対に、夜が最も長く、昼が短い日。


夏至から徐々に日照時間が減っていき、南中の高さも1年で最も低くなることから、太陽の力が一番衰える日と考えられてきました。


冬至は「日短きこと至る(きわまる)」という意味。中国では、この日から新年の始まる日で、先祖を祀る習俗があります。


特徴
北半球では太陽の南中高度が最も低く、一年の間で昼が最も短く夜が最も長くなる日。
『暦便覧』では「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と説明している。
 
一陽来復(いちようらいふく)とも言います。

●天文
秋分から春分までの間、北半球では太陽は真東からやや南寄りの方角から上り、真西からやや南寄りの方角に沈む。冬至の日にはこの日の出(日出)・日の入り(日没)の方角が最も南寄りになる。また南回帰線上の観測者から見ると、冬至の日の太陽は正午に天頂を通過する。冬至の日には北緯66.6度以北の北極圏全域で極夜となり、南緯66.6度以南の南極圏全域で白夜となる。


なお、1年で日の出の時刻が最も遅い日・日の入りの時刻が最も早い日と、冬至の日とは一致しない。日本では、日の出が最も遅い日は冬至の約半月後(年明け)であり、日の入りが最も早い日は冬至の約半月前である。


●習俗
冬至にはカボチャの煮物を食べる風習がある。


日本には次のような風習がある。
●星祭
天台宗真言宗の寺院で行われる「星供養」は、妙見系の神社等で行われる星祭(ほしまつり)とともに俗に「星祭」ともいわれる。各自の生まれ年の十二支に該当する当年星(北斗七星の7つの星が十二支のそれぞれに配当されている)を祀って、無病息災を祈る。


冬至風呂
この日は冬至風呂と称して柚子湯に入る。1838年(天保9年)の『東都歳時記』によれば流行し始めたのは江戸の銭湯からであるという。
またこの日には以下のものを飲食する風習がある。


冬至
冬至の日の朝に小豆粥を食す。これを冬至粥という。小豆粥には疫病にかからないという伝承があり、あるいは体を暖めるためともいう。


●冷酒


コンニャク
コンニャクを「体の砂払い」と称し、体内の悪いものを掃除するという。


●「と」の付く食べ物
冬至の「と」に因んで、とうなす(カボチャ)・豆腐・唐辛子・ドジョウ・いとこ煮。特にカボチャを食べる風習は全国に残っており、今でも冬至の前にはスーパーや魚屋でカボチャやドジョウの売り出しの風景が見られる。冬至にカボチャを食べると中風にならず、あるいは長生きするとも、栄養とるためともいう。豆腐は季節柄、湯豆腐にされることが多い。


中国北方では餃子を、南方では湯円(餡の入った団子をゆでたもの)を食べる習慣がある。 また、この日は家族団欒で過ごすという風習もある。


冬至(あるいは、冬至から翌日にかけて、冬至の直後、など)には、太陽の力が最も弱まった日を無事過ぎ去ったことを祝って、世界各地で冬至祭が祝われる。クリスマスも、イラン発祥のミトラ教冬至祭儀やドイツ北欧のユール(キリスト教以前のゲルマン人冬至祭)がキリスト教と混淆してできたものである。

 

●柚子(ゆず)湯・柚子(ゆず)湯に入る。
冬至といえば柚子(ゆず)湯。この日に柚子湯に入ると風邪を引かないと言われていますね。「融通がきくように」との説がありますが、単なる語呂合わせ? 柚子には体を温める効果があります。柑橘系の香りでゆったり、リラックスしたいですね。

 

・かぼちゃや小豆粥を食べる。
かぼちゃ  小豆粥
冬至にかぼちゃや小豆粥を食べる風習があります。この日にかぼちゃを食べると魔除けになり、風邪を引かないと言われています。
「ん」のつく食べ物
地方によっては、みかんなど「ん」のつく食べ物を7種類食べると幸せになるともいわれているそうですよ。
かぼちゃの別名は「南京(なんきん)」。やはり「ん」がついていますね。
「ん」のつく食べ物:みかん、大根、にんじん、れんこんなど。


伊勢神宮 冬至
冬至の前後2カ月間は、伊勢神宮宇治橋と鳥居のまん中から朝日が昇ります。それはそれは神々しい光景だそうです。
毎年冬至の日に「冬至祭」が開催され、宇治橋前で「冬至ぜんざい」が振る舞われています。


●七十二候
冬至の期間の七十二候は以下のとおり。
初候
乃東生(なつかれくさ しょうず) : 夏枯草が芽を出す(日本)
蚯蚓結(きゅういん むすぶ) : 蚯蚓が地中で塊となる(中国)
次候
麋角解(びかく げす) : 大鹿が角を落とす(日本)
麋角解(さわしかの つの おる) : 大鹿が角を落とす(中国)
末候
雪下出麦(ゆきわりて むぎ のびる) : 雪の下で麦が芽を出す(日本)
水泉動(すいせん うごく) : 地中で凍った泉が動き始める(中国)


●前後の節気
大雪 → 冬至小寒

一陽来復(いちようらいふく)
冬至のことを一陽来復とも言います。
一陽来復」は中国の「易経」に出てくる言葉。

 

中国の昔の暦では10月はすべて陰の気で覆われ、11月になると陽の気が復活し、冬至を境に長くなっていくとされています。つまり、衰えていた太陽の力が再び勢いを増してくるというわけ。そのため、新年が来るという意味の他に、悪いことが続いた後に幸運に向かうという意味も込められているのです。

 

良くないことが続いている人も、冬至が来たら「さあ、これからは良いことがどんどんやって来る」と気持ちを切り替えましょう。そういうきっかけを与えてくれる日でもあるんですよ。


早稲田の穴八幡などの神社では「一陽来復」のお守りが配られます。

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☆彡12月22日の歴史的出来事
1019年藤原道長の長男・頼通が関白に就任。
1216年教皇ホノリウス3世がドミニコ修道会を承認。
1572年三方ヶ原の戦い武田信玄軍が徳川家康織田信長軍を破る。家康は浜松城に敗走。
1619年江戸幕府が12箇条の「人身売買禁止令」を発布。
1808年ベートーベンの交響曲第5番『運命』と第6番『田園』がウィーンでベートーベン自身の指揮により初演。
1861年開市・開港延期交渉の為、外国奉行・竹内保徳を正使とした遣欧使節団36名が品川港を出港。
1885年太政官を廃止し内閣制度が開始。伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任し、第1次伊藤博文内閣が発足。
1885年宮中に天皇の補佐に当たる内大臣を設置。
1891年樺山資紀海相衆議院本会議で薩長藩閥政府を擁護する演説(蛮勇演説)を行い問題化。
1894年ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』が初演。
1902年「年齢計算ニ関スル法律」施行。数え年に代わり満年齢を使用するよう定める。
1905年日本と清国が「満洲善後条約」に調印。ロシアの利権の引継ぎなど。
1921年日本海軍の峯風型駆逐艦「帆風」が竣工。
1932年日本海軍の初春型駆逐艦「子日」が進水。
1938年近衛文麿首相が、善隣友好・共同防共・経済提携の「近衛三原則」を声明。
1938年南アフリカイーストロンドン附近カルムナ川沖で、絶滅したとされていたシーラカンスの生存を確認。
1941年日本軍がフィリピン・リンガエン湾に上陸。
1944年ベトナム解放軍部隊(ベトナム人民軍の前身)結成。
1945年「労働組合法」公布。翌年3月1日施行。
1947年「民法」第四篇と第五篇を全面改正。封建的な家族制度を撤廃。
1954年初のプロレス日本選手権開催。力道山木村政彦を破り優勝。
1970年鹿児島地裁の飯森重任所長が部下の裁判官15人に天皇制の是非などについての公開質問状を送り問題化。飯盛所長は裁判官を辞任。
1972年アンデス山中に墜落した飛行機の乗客のうち16人の生存者が71日ぶりに救出。4日後、生存者が遺体を食べて生き延びていたことが発覚。
1972年田中角榮が65代内閣総理大臣に就任し、第2次田中角榮内閣が発足。
1973年石油危機対策で「石油需給適正化法」「国民生活安定緊急措置法」を公布。wikipedia - 石油需給適正化法
1980年人民日報が「毛首席は文化大革命で過ち」と初めて名指しで批判。
1983年YMOが武道館で「散開」コンサート。
1983年埼玉新都市交通(愛称ニューシャトル、大宮~羽貫)が開業。
1989年ベルリンでブランデンブルク門の開通式。18年ぶりに自由通行。
1989年ルーマニアの首都ブカレストでデモ隊が政府機関を占拠。チャウシェスク政権が崩潰。
1989年福岡県のJR九州宮田線(勝野~筑前宮田5.3km)がこの日限りで廃止。
2001年タリバン政権崩潰によりアフガニスタン暫定行政機構が発足。
2001年九州の南西海域に不審船が侵入。海上保安庁の巡視船との交戦の末に自爆。後の調査で北朝鮮工作船であったことが判明。
2005年記録的な寒波により日本海側を中心に全国で暴風雪。
2006年改正「教育基本法」公布。

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