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春夏秋冬ある日の日記 

季節祭・催事・日々の出来事・話題やお役立ち情報・雑感などをつづっています。


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10月27日の記念日は世界新記録の日、テディベアズ・デーetc.

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10月27日の記念日は世界新記録の日、テディベアズ・デーetc.


世界新記録の日

1931(昭和6)年のこの日、神宮競技場で行われた体育大会で、日本初の世界新記録(南部忠平の走り幅跳び7m98、織田幹雄三段跳び15m58)が誕生した。

 

●南部忠平 なんぶちゅうへい

[生]1904.5.24. 北海道
[没]1997.7.23. 大阪,吹田

1904-1997 昭和-平成時代の陸上競技選手,教育者。
明治37年5月24日生まれ。昭和3年アムステルダム五輪の三段跳びで4位。
6年走り幅跳びで7m98cmの世界新記録。7年ロス五輪の三段跳びで15m72cmの世界新記録で金メダル。走り幅跳びで銅メダル。毎日新聞運動部長をへて,鳥取女子短大学長などをつとめた。平成9年7月23日死去。93歳。北海道出身。早大卒。

織田幹雄 おだみきお

[生]1905明治38年.3.30. 広島県出身。
[没]1998.12.2. 鎌倉
1905-1998 昭和-平成時代の陸上競技選手,指導者。陸上競技選手。 1931年早稲田大学卒業。『朝日新聞』記者を経て早稲田大学教授を務めた。
日本陸上競技連盟国際陸上競技連盟などの要職を歴任,のち日本陸連名誉会長。

大正13年パリ五輪の三段跳びで6位。昭和3年アムステルダム五輪三段跳びで15m21cmをとび,日本人初の金メダル。

6年15m58cmの世界新記録を樹立。朝日新聞運動部長をへて,早大教授。東京五輪の陸上総監督をつとめ,日本陸連などの要職を歴任した。
63年文化功労者。平成10年12月2日死去。93歳。早大卒。
1924年パリ・オリンピック競技大会で三段跳び6位入賞,1928年同アムステルダム大会に出場し,同種目で優勝,日本人初の金メダリストになった。

 


○テディベアズ・デー

テディベアの名前の由来となったアメリカ26代大統領セオドア・ルーズベルトの誕生日。イギリスのテディベアコレクターの間で始められ、世界中で「心の支えを必要とする人たちにテディベアを贈る運動」が行われている。日本では日本テディベア協会が1997年から実施。

1902(明治35)年の秋、ルーズベルト大統領は趣味である熊狩りに出掛けたが、獲物をしとめることができなかった。そこで、同行していたハンターが小熊を追いつめて最後の一発を大統領に頼んだが、「瀕死の小熊を撃つのはスポーツマン精神にもとる」として撃たなかった。このことが同行していた記者によって新聞に掲載され、このエピソードに因んで、翌年、ニューヨークのおもちゃメーカーが熊のぬいぐるみに、ルーズベルト大統領の愛称である「テディ」と名づけて発売した。その頃、ドイツのシュタイフ社の熊のぬいぐるみが大量にアメリカに輸入され、この名前が広まった。

 

○文字・活字文化の日

2005(平成17)年制定の「文字・活字文化振興法」により制定。


○読書の日

「読書週間」の1日目の日。
関連記念日 •読書週間 <10月27日~11月9日>


独立記念日 [セントビンセント・グレナディーン]

1979年のこの日、カリブ海セントビンセント・グレナディーンがイギリスから独立した。

 

独立記念日 [トルクメニスタン]

1991年のこの日、中央アジアトルクメニスタンソ連から独立した。


※松陰忌

長州藩松下村塾を開き藩士の子弟を教育した吉田松陰[よしだしょういん]の安政6(1859)年の忌日。

安政の大獄で捕えられ、この日に処刑された。

吉田松陰1830年~1859年)

江戸時代末期の志士、長州藩士、思想家、教育者、兵学者。明治維新の精神的指導者。

1830年長州藩士の次男として生まれる。幼少から叔父が開いた松下村塾で指導を受ける。11歳の時、藩主への御前講義によりその才能が認められる。

幼少の頃より天才として知られる。わずか9歳で、長州藩の藩校「明倫館」で山鹿流兵学の講義をしていた。藩主である毛利敬親に兵学講義をしたのは、11歳のときである。

1850年、西洋兵学を学ぶために九州に遊学。その後、江戸に出て佐久間象山に師事。吉田松陰は、友人と東北旅行を計画するが、出発日の約束を守るため、長州藩の通行手形の発行を待たず脱藩。1852年、江戸に帰着後、罪に問われて士籍剥奪・世禄没収の処分を受ける。

1853年、ペリーの浦賀来航を視察し、西洋の先進文明に心を打たれて外国留学を決意。長崎に寄港していたロシア軍艦に乗り込もうとするも失敗。1854年にペリーが再航した際には伊豆下田港に停泊中のポーハタン号へ赴き、密航を訴えるが拒否される。吉田松陰は、自首し、長州へ檻送され幽囚される。

1855年に出獄を許され幽閉処分となる。1857年に叔父の松下村塾の名を引き継ぎ、松下村塾を開塾。そこで久坂玄瑞高杉晋作伊藤博文山縣有朋などを教育する。

1858年、幕府が無勅許で日米修好通商条約を締結したことを知って激怒。討幕を表明して老中の暗殺を計画する。弟子らは反対して同調しなかったため計画は頓挫。さらに、松陰は幕府が日本最大の障害になっていると批判し、倒幕を持ちかける。結果、松陰は捕らえられ幽囚。

その後、井伊直弼による安政の大獄が始まると、江戸の伝馬町牢屋敷に送られる。松陰は尋問に際し老中暗殺計画の詳細を自供し、自身を「死罪」にするのが妥当だと主張。井伊の逆鱗に触れ、1859年に斬刑に処された。享年29歳。


吉田松陰が語ったといわれる言葉。

「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」


「満開となれば、やがて花は落ちる。太陽は南中すれば、やがて陰りはじめる。人は壮年を迎えれば、やがて老いていく。百年の間、必死で勉強すべきであり、ゆったりとくつろぐ暇などない。」


「人間はみななにほどかの純金を持って生まれている。聖人の純金もわれわれの純金も変わりはない。」


「宜しく先ず一事より一日より始むべし。」


「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである」


「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂


「学問の上で大いに忌むべきことは、したり止めたりである。したり止めたりであっては、ついに成就することはない。」


「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」

意味は「自分で自分の言動を顧みて、正しいと思うのならば、たとえその道を一千万人が塞ぐことがあろうとも、私は全うする」

「悔いるよりも、今日直ちに決意して、仕事を始め技術をためすべきである。何も着手に年齢の早い晩い(おそい)は問題にならない。」


「人を信ずることは、もちろん、遥かに人を疑うことに勝っている。」

この後は続く言葉。「わたくしは、人を信じ過ぎる欠点があったとしても、絶対に人を疑い過ぎる欠点はないようにしたいと思う。」

「賞誉されて忠孝に励む人は珍しくない。責罰されてもなお忠孝を尽す人物こそ、真の忠臣孝子である。武士たるものが覚悟すべきこと、実にこの一点にある。」


「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない。」


「私心さえ除き去るならば、進むもよし退くもよし、出るもよし出ざるもよし。」

「志定まれば、気盛んなり。」

「汝は汝たり、我は我たり。」

吉田松陰『講孟箚記』より。


「死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。」


「父母を喜ばせるために妻を持ち、宮仕えするのもよいでしょう。但し、正論を通しなさい。ならば必ず放逐後退の時期が来る。その時に書を読み、心を練り、十年後の大事に備えるのです。」

高杉晋作に送った言葉

 

 

 

毎月27日

○仏壇の日

○交番の日

○ツナの日


●10月27日~11月9日

○読書週間


◆10月27日の誕生花

野薔薇[のばら] Briar Rose 花言葉:詩

アイビー Ivy 花言葉:破綻のない結婚

細葉百日草[ほそばひゃくにちそう] Zinia linearis(学名) 花言葉:友への思い